なんで言ったことをやらないの?

友達だったり、自分の子どもだったり、
あるいは仕事で関わる人だったり、

こう思った経験は1度や2度は
あるのではないだろうか。

自分以外のことを信じるというのは、
簡単なようで難しい。

例えば、野菜しか食べない人。
肉を食べると身体によくないと思っている。

なぜ、このように思うようになったかは
それは人それぞれ色んな理由があるだろう。

信念が強ければ強いほど、
肉を食べた方が健康には良いということが
科学的な根拠から分かっていたとしても

信じさせることは難しい。
というかほぼ不可能だろう。

他には、タバコ。
身体に悪いと子どもでも、
誰でも分かっていても、
吸う人は吸い続けている。

家族に何を言われようと、
タバコの価格があがろうと、
喫煙所が減ろうと、

なにがなんでも、自分の信念である
タバコを吸うということはやめない。

別に、善し悪しの話しを
したいわけではない。

信念、つまり自分が信じること
自分がやっていることを
正当化するのは人間の心理だ。

これは人間の根源にあるものなので、
時代が変わろうと、Aさんだろうと
Bさんだろうと、変わらない。

これから先もずっと変わらない
本質でもあるというのは、
分かるだろう。

でも、このような信念も
簡単にコロッと変わる
大きなキッカケがある。

それは「死」を体感したときだ。

自分が死にかけた経験かもしれない、
大切な誰かが亡くなったという
経験かもしれない、

あるいは、
とんでもなく大きな、
誰にも言えない、
言うには時間がかかるような
大きな失敗をしたときかもしれない。

ちなみに、僕は今だから言えるが
電力会社に勤務していたときに、
工場地帯の電気を1分ほど
とめてしまったことがある。

不幸中の幸いで、
人の命に関わることがなかったし、
何か大きな機械が故障する
ということもなかった。

このときは、本当に
人生が終わったと思った。

でも、こんなことをやらかしたが
今では多分このことを覚えている人は
ほとんどいないと思う。

それと僕は
電力会社で台風のときの
停電復旧現場で死にかけたこともある。

電気の復旧は、現場は命がけだ。

熊本地震のときや浜松の台風、
岐阜の大雪、十勝沖地震…

こんな大災害のときに
現地に行っていた。

電気で命を落とすときは
本当に一瞬の出来事だ。

電気は目に見えないし
一瞬で身体の中を電流がめぐり
神経が焼ける。

そんなことが
僕の身体に起こる一歩寸前だった、
こんな経験をした。

その後は、放心状態になり
上司に心配されながらも
なんとか自分の運転で自宅に帰り、

お風呂に入っているときに
我にかえった。

めちゃくちゃこわくなった。

「もし、あのとき死んでたかもしれない」

そう思うと本当にこわかった。

このような出来事が起こると
人間の信念は切り替わる。

人間は、
何か命にかかわるような経験をしないと
大きくは変われない生き物でもある。

そこから、
立ち上がった人生のギャップが
人間の価値を、言葉の重みを
もたらしてくれると思う。

数年後には
200歳まで生きれるような
そんな時代がくるかもしれない。

それでも死というのは
必ず訪れる。

だからこそ、今を生きたい。

目の前の人に全力で
自分がもてる価値をとどけて
少しでも豊かにしたい。

そんな信念をもつようになった。
あなたの信念はどんな内容だろうか?

人から尊敬されるような
内容でなくても大丈夫。

あなたやあなたの大切な
何かを守れるならそれでいい。

自分の信念をもって
今を生きることに目を向けてみよう。

ー柳岡亮

PS
人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。(マタイ 6:1)

PSS
忘れないで。
僕らは、あとチャレンジ1回のところまできている。